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2016年8月

おしゃれ考

最近、物欲がすごいので「ファッションとは何か」について考えていました。
街で素敵な人を見かけたとき、「あんな人になりたいな〜」と思いますが、
冷静に考えてみると、その人はその日だけ素敵な服を着ていたのかもしれません。

あるブランドのコンセプトに「洋服とは、空間的で劇場的な商品です。すべての場、すべての状況は、ファッションがあれば、劇場として完成しているのです。ファッションは、あらゆる場所を劇場にします。」と書いてあったのですが、ほとんどのすれ違うだけの人に対して全力を傾けるのはなんだか虚しい気がします。
それに、その日晒した一瞬が素敵だったとしても、その他のほとんどの時間でドブのような姿をしていたとしたら、自分に本当に自信を持つことはできない気がします・・・。

いろいろ考えた結果、「如何にしてすべての瞬間において素敵でいられるようにするか」に対する答えは、そんなポンと出るようなものじゃない気がしました。しかし、常に現状に満足できず、移動中もずっとショッピングサイトを見てしまっているような時「いまの精神は不健康だ」と思います。
(ファッションについて考えれば考えるほど、当たり前っぽい答えに辿り着くのはなぜだろう…)

たそがれ(記事の内容はいいことです)

11月にある新千歳空港国際アニメーション映画祭の日本アニメーション部門に、
多摩美の卒業制作「ミヨの半生」がノミネートされました!
http://airport-anifes.jp/competition/nominate/

少し前にDVDを観てから『亜人』にはまり、最新作の映画の予告編を毎日のように観ています。
海斗というキャラが好きで、テレビ版と劇場版でのセリフの違いに気付いて悦に入ったりしています。早く新しい映画が観たくて仕方ありません。

広島国際アニメーションフェスティバル

昨日、広島国際アニメーションフェスティバルから帰ってきました。

おばあちゃんに託されたツルを平和公園に置いてくるというミッションも達成し、尾道と宮島に観光にも行った忙しい4日間でしたが、コンペは初日しか見られなかったので今度行ったらもうちょっと一生懸命アニメーションを観ようと思いました。

今回悲しかったのは、初日の朝に『火垂るの墓』を観た直後、全プログラム券をどこかに落としたことです。落とした時間帯に歩いてた場所を駆け巡って探してもなくて、悲しみに暮れながら1プログラム券(1000円)を買って観ました。

しかし、そのおかげといってはあれかもしれませんが、人の親切が心にしみました。

短編アニメーションを2時間ぐらい連続で見ていると腰と首が本当に辛くなってきて、ただ早く終わってほしいという一心になり「なんでこんな苦行をしているのだろう」と思えてくるのですが、映画祭に来ている、仕事としてアニメをやっている人たち(ゲストパスなど持っている)はやはりかっこいいなと思ったので、自分の知っている映像関係のステキな人を目指そうと思いました。

そして、見るという行為は辛くとも、後からコンペの作品をぼんやり思い出すとやっぱりいろいろ勉強になっていると思いました。

2日目に、小学生以来の原爆資料館に行ったのですが、びっくりするぐらいの超満員でいろいろ感じる余裕もなく「入場制限してくれ」と内心叫びながら回りました。(最近、人気のある場所に人が多すぎる気がするのですが、観光客が増えているからなのでしょうか)

展示物の前にしゃがみ、やたら丁寧に子供に一つ一つ説明してるお母さんや、資料映像のショッキングなシーンで「来た!」と言ったりする人を見てなんだか絶望的な気分になりました。そして、なんでもコンテンツとして消費される時代なのか・・・と空しい気持ちになりました。
でも、変なお客さんより神妙な表情で真面目に見ていた人の方が多かったことを考えると、嫌な感じのものはいいものより強く印象に残ってしまうものだなと思いました。(なんとなく悪いものの方が時代の象徴っぽい雰囲気がするからかもしれない・・)

おみやげに、尾道のガラス屋さんでずっとほしかったガラスのそばちょこを買えて嬉しかったです。
さっき、それで初めてそうめんを食べたら清涼感が段違いで、夏はガラスとザルだなと思いました。
まぬけな失敗をたくさんした旅行でしたが、生まれて初めて飛行機に一人で乗れたのでよかったです。(空港で荷物を受け取らずにゲートを出てしまい、警備員の人に取ってもらいました)

シン・ゴジラ

↑1年次制作のボツになったカット

昨日はシン・ゴジラを観に行きました。

この前テレビでやってたハリウッド版のゴジラはワニっぽく、最後、ジュラシックワールドのようにいい感じに「ギャオー」と吠えて海へ帰っていったのですが、シン・ゴジラのゴジラは話の通じない災害的な存在という感じでした。観終わったあと、なんとなく濃厚なマニアの世界の片鱗に触れてしまったような気がしました。
ゴジラのしっぽの先に人間っぽいものがついていたのが何なんだろうと気になりました。

その後、イラストの雑誌を立ち読みしたのですが、その本には、それぞれ微妙に違うけど受ける印象はだいたい似たようなイラストがいっぱい載っていて「描いている人は、似たような絵がいっぱいある中で自分がやってることに意味なんてあるのかと思わないのかな?」と考えたのですが、似ている中での「微妙な違い」をわざわざ探ろうとしないこちらの感性が雑なのかもしれないと反省し、その場をあとにしました。

しかしその後別の本屋さんに行き、そこにあった一冊の画集に、雷に打たれたような気分になりました。それはものすごい細かい細密画の画集で、文章にするとあんまりすごくなさそうなのですが、なんだかしがらみのなさそうな清涼感が漂っていて「こりゃ簡単には真似できない」と思いました。そして、「今の世の中、情報は入ってきてもモノの価値を実感として感じる機会がなく、ぼーっとしているといろんなものに対してわかったような気になり、大したことなく見えているのかもしれない。しかし、その見えづらい価値を発見しなければならないんだ。」と思いました。

さっきふと思い立って、ペンタブのペンについているゴム製のにぎりと円錐型の部品を取ったら、細いペンになって描きやすくなりました。

「ぼちぼち行こうか」

最近『黒い雨』の文庫本を読んでいます。
中野のまんだらけで買ったのですが、前の持ち主が鉛筆でところどころ二重線を引いてたりメモを書き込んでいたりして、私も国語の教科書にそうやって書き込んでたな・・・と思いました。
買った本をちゃんと読んだり、食材を腐らせず消費していると、いいことをしている感じがします。

8月なのに1年次制作の企画がブレ続けています。
道具のせいではありませんが、ペンタブで描いてるとなんか永遠に絵が決定しない気がするのです。
(実際に、ペンの先端でカリカリと紙を掘る感触がないとどうも・・・)
こんなに話がグラグラし続けているのはなぜかと考えたら、制作の動機になっている「怒り」が時間が経つごとに冷め続けているからなような気がします。
今の自分が、「そんな怒らなくとも」と、過去の自分との仲裁役になっているので話が定まらないのです。
心をえぐってくる自分の内なる声との戦いに勝ちたいです。

先週、毎年恒例の西武遊園地の花火大会に行きました。
「私が行かないといつなくなるかわからない」という使命感をずっと感じていたのですが、
バイトの人たちは一生懸命働いていて、当たり前なのですが、私がロマンを感じている場所を現実のバイト先としている人がいるんだなと思いました。
そして「ロマンを追いかけて思い出を辿っても、一度目ほどの感動は得られないものなのだ」という人生訓を得て、思い出とは覚醒剤のようだ・・・と少しだけ思いました。
しかし、金色のでかい大輪の花火が消えてゆく瞬間を見たら泣きそうになりました。

照り照りの日々

この前、マリメッコの鍋つかみを買ったのですが、台所にポツンとかわいい柄のものがあるととても豊かな気持ちになります。主に電子レンジからいもや熱いお皿を取り出すのに使っています。

昨日は学校でMAスタジオ講習会があり、録音ブースとコントロールルーム(大きなミキサーや200万円するスピーカーなどが置いてある)の使い方を教わりました。大学の時、学校の機材を研究室に行って助手さんに頼んで借りるという一連の流れが億劫で、さらに借りても使い方がよくわからず、ほとんど使わないまま卒業したのですが、今も実はできる限り家でやりたいです。私は他のアニメ作ってる人や世の中の風潮がどうしても気になったり、設備を利用するのをためらったり、無駄な雑念が多すぎるのかもしれないなと思います。

最近、寝る前になると足がむずむずして動かし続けずにはいられないような感じになるので、調べてみたら『むずむず足症候群』という病気(?)があって、鉄不足が原因の一つだということだったので鉄の錠剤を買って飲んでみました。錠剤が大きくてオヘッとなりました。

バーチャルコンソール版のポケモン(ピカチュウバージョン)をしたのですが、チャンピオンになってミュウツーを捕まえに行ったらもうやることがなくなってしまい、小学生のときずっと夢中になっていた長い長い日々の記憶とのギャップにびっくりしました。でもポケモンをやり尽くして寝ると、起きた時に「もう一つの世界に帰れる」というワクワク感があっていいです。

うわあああ

甘ったれなのはわかっているのですが、最近ずっと制作をするのが泣くほど辛いです。

「もっとちゃんと技術を身に付けたい」という思いを抱いて入った大学院ですが、日に日に目的を見失っています。

大学の頃、やる気がなくて卒制さえも適当にこなすような人は何のために入学したのか…とよく思っていたのですが今はすごくそういう人の気持ちがわかります。今や負のエネルギーを原動力に制作に打ち込むこともなく、義務感だけです。

素直で向上心がある同級生たちへの劣等感がすごくて、なんでみんなそんなに無邪気に吸収したり、頑張れるのかと不思議です。

インディペンデントなアニメーションにまつわる情報に触れるのが最近ちょっと苦痛です。(でも広島アニメフェスは楽しみ)

こんなモチベーションの低さで作っている作品ですが完成させなきゃいけないので、毎日机に向かう努力はしようと思います。

自分は作家としてやっていけないかもな…と思う要因に、自分の作ったものの価値を信じ続けられないことと、根本的な「作る意味」とは…といった壮大な悩み方をしてしまうことがあります。

巨匠の先生が「こつこつやることだ」的なことを言っていて、本当にもっともだと思いました。

自分の考えたことを表現すると、かたっぱしから間違っているような気がしてすぐに撤回したくなるので人とまともに話せないしたまに自分でも何を言ってるのかわかりません。でも何の問題提起もない、見た目やストーリーだけの作品はファッションだと思うので、よくわからなくても自分なりの何かを主張しなきゃいけないんだ…と思っています。

この前、都知事選のために実家に帰った時、地元のイトーヨーカドーのフードコートではなまるうどんを食べたのですが、庶民感がたまらなくて、帰りたくない…と思いました。(庶民だけど)

微妙に垢抜けてないデザインの水着が並ぶ子供用水着売り場、ゲームコーナーの機械のレバーの先っぽについてた透明な玉(凝縮された気泡が入ってる)などに、スーパーへの郷愁を刺激されました。