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2019年12月

Blender

ここ数日、3DCGソフトのBlenderを勉強しています。
大学で少しCINEMA4Dを習ったことはあるのですが、ちゃんと自分から覚えようとするのは初めてなので難しいですがとても楽しいです。
まだ箱を置くので精一杯なので、キャラを動かしたりできる人すごい…と尊敬の念でいっぱいです。
Netflixで『ジュマンジ』を観ていた時、白いCGのふさふさしたゴリラを見て、これを作ることを思うと気が遠くなりました。

最近、SNSやネットニュースをあまり見ないことを自分に課しているのですが、どうしても見たい時用にTwitterのいいね数やリツイート数を非表示にできるアプリを入れてみたらとても心が軽くなりました。
たぶん、世の中の反響が数字によって可視化されていることによって、いいつぶやきでも『自分だけのもの感』が感じられず、ケッという気持ちになるんだと思います。
富士山とかも、何気ない瞬間にたまたま見えたら、その時の空気感なども含めた『マイ富士山』になるでしょうが、るるぶなどに『絶対行くべき山』として紹介されていたらきっとそうは思わないことでしょう。

生きがい

作品の進行が煮詰まってきたので、一旦絵コンテを整理中です。Notabilityというアプリにコンテ用紙のpdfを読み込んで書いているのですが、最初からこれで描けばよかったと思うぐらい便利で書き味もいいです。

最近、目的や必要性がなくてもただそれをやってるだけで楽しい、と思えるものが自分にないのが悲しく、どうしたらまた作ることを生きがいと思えるだろうか…とよく考えています。

いまや作品を作ることや絵を描くことが「やめたら何も誇れるものがなくなってしまうからやらざるをえないもの」になってしまい、世の中に数多ある他人の創作物も見るのが辛いと感じることが増えました。朝起きて自発的にやることといえば「ツイッター・インスタ・ガルちゃん・ヤフーニュースのパトロール」な自分の文化的貧しさが辛く、鬱屈した気分を買い物や断捨離をして一時的に晴らす、というループにうんざりしています。

常に上手い人の作品がSNSなどで流れてくることで「わざわざ自分がやらなくてもいいんじゃないか」と思ってしまうのが一番よくないと思うので、作る必然性があるテーマや見てもらいたい相手のことなどを考えて、「自分が」作る意味を見出したい & 意味に関係なく、どうしたらまた作ることを楽しめるようになるのか模索し続けたいと思います。

モミモミ

いま作っている新しいアニメの一部です。ブライダルエステに通う主人公です。

先週、実家でかわいがっていたインコが忽然と行方不明になってしまい、悲しむ親を見ていると心が痛いです。逃がした犯人はおそらく(認知症疑惑のある)おばあちゃんなのですが、本人はまったく悪びれる様子がなく「〇〇(母)がゴミと一緒に出しちゃったんじゃないの?」などと暴言を吐いては家族の神経を逆撫でしており、長生きする意味ってなんなんだろうと思ったりしています。

迷い鳥のチラシを作って、微力ながら市民掲示板などに張るのに協力したりもしていますが、今までひとのペット迷子のチラシを「ふーん」という気持ちで見ていたけれど、飼い主は悲痛な思いで捜索していたんだな…と思いました。多分、自分もペットを飼ってなかったらこんなに辛い気持ちがわからなかったかもしれません。

お年寄りが運転ミスなどで誰かを傷つけても、やった本人はおばあちゃんと同じように悪びれないのかもと思うと自分も殺されないように気をつけようと思うし、ボケ気味のお年寄りは悲しいけど行動を制限されないと危ないな…と思います。